COLUMN

こたつと猫と
ローソファ

文:岸宗 大輔

小学生の頃、冬場にコタツでマンガを読んでいると飼い猫が吸い寄せられるように膝元にやってきた。 ぬくぬくと気持ちよく眠る猫が可愛すぎて全くその場から動けずに、同じマンガを繰り返し読んでいた記憶がある。 幸せそうだった表情が今でも忘れられない。ボクにとってコタツとは猫と過ごすための場所であり、コタツと猫はボクの幼いころの暖かい冬の思い出でもある。

驚くことなかれ「猫とコタツ」は近代の電気コタツが生んだものではない。実は、それなりに歴史が古いのだ。
江戸初期1682年刊行、当時のベストセラー文芸作品「好色一代男」。
この作品の挿絵にコタツで暖を取る女性が描かれているのだが、なんとコタツの上で丸くなる猫がきっちり描かれている。 この当時からすでに絵師たちは、コタツの暖かさを表す演出として丸くなった猫をセットで描いていたのである。 庶民向けの当時の読み物にこういった風景が描かれていたということはおそらく「コタツと猫」という概念は庶民の間ですっかりお馴染みのものになっていたのだろう。

個人的に特に挙げたいのが「猫好き絵師」として有名な歌川国芳の「炬燵と娘と猫」。 コタツに身体をうずめながら、うっとりとした表情で猫を見つめる女性が描かれている。 これは何ら現代と変わらない日常のワンシーンだ。 「コタツと言ったら猫でござるよね」いやいや「冬に猫といえばコタツで候(そうろう)」などという会話が江戸時代初期からあったのだろうか。 その感覚はこうして、200年以上受け継がれて現在でも冬の茶の間のワンシーンの王道である。
(ちなみにコタツが生まれたのは室町時代と言われているのでもっと前から「猫とコタツ」は仲良しなのかもしれない。)

ローソファとこたつのコラム、こたつと猫とローソファ

いつもそこにあるものが、すっかりお馴染みの風景になること。それを日常風景という。 やがてそれは思い出となり、いつの間にか誰しも気にも留めない一般的な概念や文化になり、歴史へと進化していくのだろう。 「猫とコタツ」はそうやって日本の茶の間に市民権を得たわけだ。コタツは炭から電気(赤外線)へと進化を遂げたが、彼らの関係は今でも変わらない。

さて、日本の茶の間と言えばローソファ専門店のデザイナーとして「コタツとローソファ」も猫に負けないくらいに相性が良いことをここで挙げておきたい。 コタツとソファを使いたい、という贅沢を叶えるのはローソファの得意分野である。

「コタツといえば猫でござるな」いやいや「コタツといえばローソファも外せないで候」…そうやって日本の風刺物に「コタツとローソファ」を日常のワンシーンに入れ込んで行きたいのだ。

まだまだ先輩達の親密な関係には敵わないだろう。 それでも今使われている家庭で愛され続けて、何十年後にはローソファもボクと猫の思い出のような日常を作りながら、猫とコタツのような「温かい茶の間の日常風景」の仲間に入っていてほしいものである。

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