COLUMN

こたつとイソップとローソファ

文:だいご

”ローソファ”というものの存在を知ってから、いや知らされてからどれくらい経ったことだろうか。指を折おり年数を数えると、一端閉じた手が再び開いてしまうことに愕然としてしまう。

いわゆる一般に浸透しているソファとは違い、床にべったりと張り付くようにリビングに鎮座するローソファ。鍋の季節にはこたつと同じ目線で座ることができるためとても重宝する。しかし、未だに自分の家にあるのは脚のある普通のソファである。 そして、今年の年末も例年同様鍋を囲みながら脚のついたソファに腰かけ、前かがみになりながら自分の目線よりもはるか下にある鍋をつつく。「こんなときにローソファがあればもっと簡単に鍋がつつけるのに…」と毎年同じようなことを考えている気がする。

ふと、幼い頃に読んだイソップ童話の「狐と鶴のご馳走」という話を思い出す。

”ある日意地の悪い狐が鶴を自宅に招待するが、わざとくちばしの長い鶴が飲めないような平たい皿にスープを入れてもてなしをする。 後日お礼に鶴が狐を自宅に招待し、今度はくちばしの無い狐が食べることができないような細長い容器に肉を入れてもてなした。”

仁義なき戦いのような不毛さを感じさせるストーリーを自分に重ね合わせながら、日本酒をあおる。 そして、「あー、うまい。酒を飲んだらどうでもよくなってきた。来年は禁酒する」と例年同じようなことを口走っている。
世間で恒例の来年の漢字については個人的に「不毛」で固定してもいいのではないかと思っている。

ローソファとこたつのコラム、こたつとイソップとローソファ

そういえば、似たような話でイソップ童話にはもう一つ「すっぱい葡萄」というものがある。

”狐が高い所にある葡萄を見つけたものの、飛び上がっても届かないため「すっぱくてまずいだろうし、いらない」と捨て台詞を残して立ち去った”

狐というのは童話や昔話においてあまり報われる話を聞いたことがない。善行を尽くした”ごんぎつね”でさえ非業の最期を迎えてしまう。

さて2017年は酉年である。鶏にまつわるイソップ童話といえば、「ガチョウと黄金の卵」という話が有名ではなかろうか。

“とある男の飼っているガチョウがある日黄金の卵を生む。一日一個黄金の卵を生むガチョウによって男は金持ちになったが、 ガチョウの腹の中にさらなる金塊が詰まっていると勘違いをした男はガチョウの腹を切り裂いてしまった。しかし、そこには何もなく一日一個の金の卵を生むガチョウすらも失ってしまう”

ここまでいい方向に話が進むようにイソップ童話になぞらえてみたものの、全ての話がロクな話に聞こえてこない事にお気づきだろうか。 それはおそらくイソップ童話のテーマは「教訓」にあり、登場する動物達は反面教師の役割を果たしているからではなかろうか。

つまり、狐からは「誠実」と「素直さ」の重要性を学び、鶏からは「強欲」の愚かさを学ぶ。そして、最後にオチをつけるならば「こたつで鍋を食べるときは床に座った方が食べやすい」ことをローソファから学んだということだろう。